シモンさんのおはなし

私がイスラエルに行ったとき、道案内をしてくださった方がいました。
その方は日本人なのですが、シモンさんと呼ばれていました。
(シモンさん、勝手にお名前出してゴメンナサイね。)
シモンさんはヘブライの歴史、考古学を学ばれた方だったので、
お話がイスラエルの歴史とか、リアルに語られるのが興味深くて
面白くってするすると引き込まれてしまうのです。
道端でアラブ人の物売りとヘブライ語でのケンカする姿など
見ものでした。

エルサレムのヴィアドロローサで
「イエスがいた頃の街なんて、この石畳の下だよ!」
と現実を突きつけられ、悲しい顔をする私たち。そして、露店で
お土産の十字架よりも、ダビデの星やメノラーに
目を奪われていた私に「キミはなかなかいいぞぉ!イスラエルは
キリスト教だけの国じゃない。眼の付け所がいい!」と
なんだか「は?」というようなお褒めのお言葉をいただきました。

そんなシモンさんが、ヨルダン川で、こんな話をしてくれました。

ヨルダン川はガリラヤ湖に水を送り込むんだよ。
でね、たくさんの生命を育むガリラヤ湖の豊かな水は
死海にも注ぎ込まれるんだけど、死海の水はドコにも
流れていかない。死海でおしまい。何もすむものはいないし
塩分で辛い上に、干上がってきているよね。
だから、死の海だよ。人間も同じだよ。愛を受けるばかりで
注がない人間は、死海と同じだよ。

まだ若かった私の心に、その言葉はくっきりと残りました。
そして、数日前のペトロ神父のお言葉に、、、
同じような言葉を見つけたのです。

そして、神父様はこうおっしゃっています。

「人も受けたり与えたりする中で
 健やかに成長して
 心を磨き、
 人格的にも信仰面においても伸びていきます。

 やはり、
 人生は「受けたり与えたりする」ことですね。」

喜んで与えることができる恵み多い信仰を私も育てていきたいと
思いました。

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神の下さる学び

今の私に必要な言葉。神様はいつも
ここまでおいで、といいながら
頼りない私を少しずつ 歩ませてくれているのです。

沈黙。

なんて素晴らしいことなのだろう。
沈黙の傍らにはいつも、神が、そしてイエス様が
共にいてくださる。

黙って愛しなさい。
わたしが愛したように、
何も語らずに、しばしば外にさえ表わさずに、
黙って愛しなさい。

黙って愛しなさい。
愛が、深く、ほんものになるために。

だれにも気づかれないように奉仕し、目につかないように
よい行為をしなさい。
そして、黙って愛することを学びなさい。

黙って愛しなさい。
しかられても言いわけをせず、
心を傷つけることばにもいい返さず、
黙って愛することを学びなさい。

あなたの心は、愛が君臨する王国であるように。
その王国を、人へのやさしい思いやりで満たし、
黙って愛することを学びなさい。


人から求められず、かえって退けられるときに、
黙って愛しなさい。
手をかしたくとも、受け入れてくれない
その人たちのために祈りなさい。
誤解されるときに、黙って愛しなさい。
愛が無視されることを忍びながら……。

悲しいとき、黙って愛することを学びなさい。
喜びを周囲にまき散らし、
人のしあわせを増すよう心がけなさい。
人のことばや態度でいらだったなら、
黙って愛しなさい。
心の奥に秘められた苦しみを、忍耐深くささげなさい。

あなたの沈黙のうちに、
恨みや不忍耐やきびしい批判がひそまないように。
いつも兄弟を尊重し、たいせつにすることを心がけなさい。

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言葉にならないまま。

夙川は思っていた以上に
暑くって、この坂を上らないと
いけないのかぁと少しへこんだり。

でも、たどり着いたお御堂の中のエアコンが、
疲れを癒してくれました。

昨日、初めて追悼ミサに出席しました。
甲子園にいらっしゃった小池神父様の追悼ミサです。
外は照りつける太陽の眩しい活気。それと対象に
聖堂には穏やかな空気がありました。

司教様の司式のもと、ラテン語の聖歌で包まれた
温かいミサになりました。そっとハンカチで目頭を
抑える信徒の方を側に感じながら、ミサの間
様々なことが頭をよぎりました。
昨日のミサについて書きたいことがたくさん
あるけれど、稚拙な私の文章能力ではなかなか・・・。
素敵なお御堂に響いた、美しいラテン語のサンクトゥス。
神父様もお喜びだったのではないかな、と思いながら。
   

ミサが終わり、献香の香りに
包まれながら、お御堂を後にしました。
外は雨上がり。いつの間にか通り雨があったよう。
お庭ではたくさんの信徒の方と神父様方が笑顔で
挨拶を交わしています。
いつもの日常が、そこには既に存在していました。

そして門から出るとき「またな!」と元気に
手を振ってくださったお父さん神父様の笑顔を見て、
「どうか、いつまでもお元気でいてくださいね」
と心から思った私でした。

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PAULINE YEAR!

080705_13280001 パウロ年のミサ、とても暑い日。

日陰もない道、
一人玉造のカテドラルまで
歩きます。

振り返るととても空が眩しくって、パウロさん
もう少し日差しを弱くしてくださいと弱音を
早速吐く根性なしの私。

今日はお説教も何もかも、パウロが中心。
ああ、この聖句もパウロさんだったんだ、
こんな旅をしてたんだ。

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心の中で、パウロの

宣教の道行きを辿ります。

そして池長大司教様のお話。

体の中は決してよい状態ではなかったけれど
心は癒され、強められました。

霊性を高めていけますように。
聖霊の働きをもっとありのままとして感じることの
できる自分になりたい。

そう思いながらカテドラルを後にしました。
カテドラルの出口で、シスター方が配られていた
記念のしおりには、

聞きなれた、

そして単純だけど

キリスト者には 何より大切な、、、こんな言葉。

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今日、この記念すべきミサに
与れたお恵みに感謝!

     




いつも 喜んでいなさい
  たえず 祈りなさい
      どんな 時にも 感謝しなさい

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恥ずかしくなりました。

SNSのコミュニティーの中で、未信徒で、洗礼のための
勉強をとても熱心にされている方を見かけました。
心が洗われる思いでした。

いつの間に、こんなに汚れてしまったのか分かりません。
いつの間に、こんなに傲慢になってしまったのか分かりません。

形だけでなく、心からご聖体をいただけるお恵みに感謝し
ミサに与れるお恵みに感謝した 受洗直後の頃を思い出しました。

洗礼を受けたからと言って、未信徒の方よりも先輩だから
教えてあげなくちゃと思う心こそ、思い上がっている気がします。
教えていただくことのほうが、はるかに多いのです。
洗礼を受けて何が変わったでしょうか。私自身のことで言えば、
何も変わっていないばかりか、お恵みに鈍くなるほどの傲慢ぶりです。

何よりも謙虚さ。
傲慢と慢心は己の愚かさ、至らなさが見えていない証拠です。

そして、もっともっと、私は多くの人の中で、
もっとも小さいものでありたいと、、、心から思いました。

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ひとごとじゃありません

今日は、何気に行った近所の教会でのごミサが・・・
なんと、ラテン語でした。

カトリックがラテン語のミサをしていたのは
モチロン知っておりましたが「昔はすごかったのね」
ぐらいにしか思っておりませんでした。

神父様も何度も老眼鏡で確認しながらのごミサ、
信徒も思い出すのに一生懸命、今日のごミサは
合唱の練習のようで、ふと、高校時代のコンクールを
思い出しました(すみません不謹慎で)

洗礼前の私には洗礼名とかラテン語はどうも
実感が湧かず、人事のような気がしていましたが
いざ信徒となり、直面すると「私も信徒だったのか」
という緊張感があります。いつか慣れて行くもの
なのでしょうか。

7月5日は玉造でパウロ年のミサがありますね。
これもそんなのがあるんだねぇとよそ事のように
思っていたのですが、そんなわたしに頭からバケツが・・・

・・・神父さま直々に
「7月5日は玉造で共に祝いましょう」
           と言われてしまいました。
(その日はのんきに京都にお買い物でも行こうと
 思っていました。)

最近いよいよ呆れられたのでしょうか。
    ぐうたらな娘には強行ですか、天のお父様・・・。

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心の平安を求めて

キリスト教に入った理由やいきさつは人それぞれで
求めたキリストの姿もまた様々であるんだなと
思うことがありました。

私は、自分の信じたイエス様の愛に導かれて歩んで
行きたいと思っています。
でも
「それはちがう。こんなもんなんだよ」
と言われると悲しくなります。
信仰は、数学ではないと思うのです。
答えは一つではないのではないかと。
そして、断言できるものでもない気がします。
カトリック的にどうだとか、これが正しいとか
そんなことは次の問題で、私が求めているのは単純なことです。

弱く、愚かな私は イエス様に
心の平安と救いを求めているだけなのです。
そのために、イエス様と向き合う時間が欲しいのです。

そして、言葉とは恐ろしいものです。
不用意に出した言葉は、人の耳に入ればどんな形に
変わるでしょうか。私が一番恐れているのは、
言葉かもしれません。

だが、癒す言葉もあることを知るときがあります。

そんなとき、わたしはこんな言葉に慰めれられます。
神よ、あなたはいつも私の心の砦です。

「あなたの平和を、他人の言葉の上におくな。
 他人があなたについて良く思うにしろ、
 そうでないにせよ、それによってあなたが
 変わるわけではない。
 まことの平和とまことの光栄とはどこにあるのか?
 私だけにあるのではないか?
 人に気に入られるようにと努めず、また気に
 入られないことを恐れない人には、大きな平和がある。
 なぜなら、心の平安と五官の乱れは、
 不実の愛と根拠のない恐れから生まれるからである。」

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だから大丈夫

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

まだ、20代も前半で、若く甘ったれだった頃。
そっと入った教会で上司への愚痴、家族への不満など
神様にぼやくこともありましたが、そんなこと、神様に
したら笑い事だったのだと思います。

ある時、絶望的なことが25歳の私に起こりました。
目の前が真っ暗になり、食べ物が何も口を通らなくなりました。
そんなとき、父も母も家族は一生懸命になってくれましたが
空虚な私の心には何も響きません。
1週間も続くと目の下は真っ黒で、痩せちゃって
ボロボロです。そんな日々が続いていた、ある夜。
ふと、「私が神様にとても愛されているからだ。
なかなかこんなありえないことに直面するのは神様が私を
深く愛してくれているからなんだわ」と思いました。

それは、S神父にいただいたあしあとの詩、そのまんまを
体感したのです。こんなに弱いときは一人じゃない。
神様がいてくださるわ。だから大丈夫、そう思ったのです。
目には見えない、神を感じていたのですね。
「大丈夫!」と思ってからの私の立ち直りは早かった。家族も
驚くほどでした。腫れ物に触るようにしていた友人達も
きょとんとしていました。でも、平気でした。
神は共におられたからです。

神様は時々で私の心をノックしてくださいました。
でも、今思うと、このときは冷えた私の心を、
抱きしめて温めてくださっていたのだと感じたのです。

こんな私だから思います。
信仰は理屈ではなく、まず自分に注がれている神の愛を
感じることではないかと。難しいことは分かりません。でも、、
愛の感触も分からなければ、人は求めようとはしないのでは
ないでしょうか。
私は、自分が神の愛を感じたから、、、求めたのだと思います。

今日のごミサの、

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」

この福音は、人の言葉、行いによってずたずたにされ、
人におびえたあのころを思い出させてくれました。
そして当時の自分を思い出し、口に入れた
ご聖体をいただきながら泣きそうになりました。

「あんなにボロボロだった私を引き取ってくださって
                    ありがとう、イエス様」

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ちょこちょこ訪ねる芦屋教会のマリア様です。
このマリア様が私は大好きです。
五月はバラに包まれていらっしゃいます。

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一人前の

一人前の信徒って、どんな信仰を持った人のことを
いうのだろう。
完成は、果てしないものだと思っているけれど
一人前の信徒って、どんな人のことだろう。

星はあまりに遠くて、私にはよく見えないのです。

小さな私には、小さな歩みしか、できないのです。

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私は渇く “I thirst”

ミサにいけない日はペトロ神父様のお話や、郡山司教様の
ミサ説教を聴くのですが、今日のお説教は珠玉でした。
http://www.voiceblog.jp/ord197203/

今の渇いている私には、水のように沁みこむものがありました。
渇きが恥ずかしく、情けないと思っていた私。
でも、ペトロ神父様は以前、
「渇くということを自覚するのは素晴らしいことですよ」
とお話してくださいました。渇くことを自覚しなければ
干からびて死んでしまうんですよ、と。

ともあれ、このお説教を聴いたお恵みが何よりもありがたくって。
(神学院でのお説教なのですが)

最近このお説教を含め心に留まった言葉。
神様との語らい、神様と目を合わせる・・・神様との対話。

天のお父様が
「最近おまえと話をしていないぞ」
と声をかけてくださっているようなそんな気がしています。

イエス様、どうかあなたの愛に留まらせてください。

郡山司教様のお説教。
私のように心の渇きを覚えている方は、是非。

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